2011年 10月 11日
ラットマン
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人は脳というフィルターを通して世界を見ています。

アメリカのニューヨーク州立大学バッファロー校で実験が行われたという、
一種の騙し絵ラットマン。
上下それぞれの列の右端に同じイラストが書かれていますが、
90%もの人が、
人の顔をいくつも見たあとではラットマンを人の顔、
動物の絵をいくつも見たあとではラットマンをネズミだと認識したそうです。

予期によって知覚が変化する、というお話。


でも私は思ったのですが、
実際のところその右端に書かれたイラストは何を描こうとしたんだか、
さっぱりわからないぐらいに稚拙で、(もちろん故意にそう描いたのでしょうが。)

上の列を見た後では、
「は?・・・他の全部が人間の顔だったし・・・もしかしておじさん描こうとした?」
と、“意図を汲み取ってあげよう” という努力の結果としておじさんの顔と判断されるだろうし、
下の絵は、左からの流れが動物、動物、動物、と続いているせいで、
「見ようと思えばネズミに見える。これ、ネズミってことでいいの?」
と、答えを誘導している、ただ単にそういうことに思えます。

だって、もし右端のイラストだけをポンと見せられたら、
むしろネズミにもおじさんにも見えない。なにこれ?

さて、これは何の絵でしょう、と問われれば、
そのグループの他の絵を判断材料にして、おじさん?だとか、ネズミ?だとか、
答えを導き出すしかないのです。


あきらかにネズミにしか見えないイラストがあったとして、
ただしそのイラストを人間の顔に混ぜた時にだけなぜかおじさんにしか見えなくなる、
というのであれば、それは確かに、認知心理学の実験として妥当だと思いますけど。

なんだか変な実験だなぁ、という感想を抱いただけでした。


で、 『ラットマン』 と名づけられた小説を今日は読んだのですが、
これは登場人物たちの思い込みや、勘違いによって展開していくミステリーでした。

一貫して暗くて乾いたムードの小説で、
2時間ぐらいで読みきれるエンターテイメントとしてはなかなかよかったと思います。
私はいつものごとく通勤電車で読みましたが、
帰りの電車でちょうど読み終えて、
地元の駅から家まで歩く5分ぐらいの暗い夜道に、
その日だけ妙に殺伐とした迫力を感じて怖かったです。


読了し、ブログ用に表紙画像を探していた時に知った情報によれば、
直木賞、山本周五郎賞その他いろいろ受賞している人気作家らしく、
この 『ラットマン』 は、「週刊文春ミステリーベスト10」国内部門で第4位、
「このミステリーがすごい!」国内編で第10位にランクインしたということです。

へぇ。


へぇ。


以下ネタバレ。
世間ではこの作品は高評価の様子で、
犯人はコイツだ、と思って読み進めると状況が二転三転し、
最後の最後で意外な結末がやってくる。
なるほど、標題のラットマンの通り、自分の思い込みが見事に覆された!
と、おおむねそんな感じでした。


ただ、ごく個人的に言わせてもらえばこれは、
作者の見せ方によってこの人が犯人のようにも、あの人が犯人のようにも、
読者に思い込ませることができます、
っていうそういう意味での 『ラットマン』 であって、

作中、登場人物たちも各々思い違いや勘違いをすることでストーリーは展開していきますが、
彼らのその思い違い、勘違いについては、
ラットマン実験とはあまり関係がないように思います。
単なる、“結果的に間違っていた思い込み” に過ぎません。


冒頭に書いた心理学の実験もそうですが、
人間の 「認識のしかた」、というよりは、認識の 「させ方」 に対して、
「ほう」 と思わせられます。
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by yo54321yo54321 | 2011-10-11 10:11 | 日記


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